新陰流の極意
- 2022年1月
- 赤羽根龍夫
- 左文右武堂
- 312頁
- 2,200円
名古屋・春風館には、江戸時代最後の尾張柳生師範であった柳生厳周から神戸金七を経て江戸時代そのままの柳生新陰流の技が伝わる。著者は春風館に学びその関東支部を主宰している。本書では新陰流を創始した上泉伊勢守信綱に始まり、柳生石舟斎宗厳以降柳生家代々に受け継がれた柳生新陰流の歴史を分かりやすく説くことから始まり、加藤伊三男春風館館長のインタビューを交えて厳周伝新陰流について述べ、さらに著者の実践や伝書の研究を踏まえて新陰流の真価や極意にあらゆる角度から迫っていく。長年の研究の結果、柳生連也が残した『新陰流兵法目録』に著者は一つの結論を見いだした。新陰流の主要な伝書も収録した、著者の集大成となる一冊である。
※本書はムック『柳生新陰流 歴史・思想・技・身体』(2017年/絶版)を原本とし、加筆・修正したものです。
武蔵”無敗”の技法
- 2019年3月
- 赤羽根龍夫
- BABジャパン
- 四六版232頁
- 1,540円
『五輪書』以前に、すでに武蔵によって書かれていた『兵道鏡』『円明三十五ヶ条』。ここには“勝つ技術”が詳細に書かれていた!『五輪書』を読んでも分からなかった答はここにある!
古武術「仙骨操法」のススメ
- 2016年2月
- 赤羽根龍夫
- BABジャパン
- A5版176頁
- 1,760円
上体と下体を繋ぐ仙骨。
古武術の「仙骨操法」で、全身が連動し始める!
あらゆる運動の正解はひとつ。
それは「全身を繋げて使う」こと。
古武術がひたすら追究してきたのは、人類本来の理想状態である“繋がった身体”を取り戻すことだった!
スポーツ、格闘技、ダンス、あらゆる運動を向上させる“全身を繋げて”使うコツ、“古武術ボディ”を手に入れろ!
誰でもできる「仙骨体操」ほか、古武術をもとにしたエクササイズ多数収録!
武蔵と柳生新陰流
- 2012年5月
- 赤羽根龍夫、赤羽根大介
- 集英社新書
- 新書版208頁
- 本体720円+税
幻の史料『刀法録』で明らかになった柳生の剣に伝わる宮本武蔵の極意!
吉川英治の小説をはじめ時代劇、漫画等でもおなじみの剣豪・宮本武蔵。かたや徳川家の御家流である柳生新陰流一門。物語の中では往々にしてライバルとして描かれる両者ですが、実は武蔵と柳生の技術、極意には多くの似た点があることが以前から研究者の間で指摘されてきました。そして著者らが所属する名古屋春風館には壮年期の武蔵の円明流と尾張の柳生新陰流が伝えられています。本書は実際の技の比較と、この道場が所蔵している未公開の柳生文書『刀法録』を通じ、武蔵と柳生の思想と技における密接な関係を明らかにするものです。歴史、剣豪小説ファン、武術の実践者必見の極意の世界。
新陰流軍学『訓閲集』
- 2008年7月
- 赤羽根大介、赤羽根龍夫
- スキージャーナル社
- 335頁
- ※出版社倒産により絶版
戦国武将の虎の巻であり、日本最初の兵法書『訓閲集』を初めて公開。新陰流剣術の祖として知られる上泉伊勢守によって伝えられた武術愛好家、戦国史、軍学・兵学に興味あるすべての人、必読の原典。
武蔵「円明流」を学ぶ
- 2010年1月
- 赤羽根大介、赤羽根龍夫
- スキージャーナル社
- 四六版232頁
- ※出版社倒産により絶版
若き武蔵が追求した「勝人剣」円明流の技十一本を写真で公開。晩年の『五輪書』からではなく、吉岡一門との三度の戦いに勝利した直後に書かれた『兵道鏡』から探る―現代に生きる武蔵の「身体」と「心」の遣い方。
柳生新陰流を学ぶ
- 2007年5月
- 赤羽根龍夫
- スキージャーナル社
- 248頁
- ※出版社倒産により絶版
戦国の世に上泉伊勢守信綱によって創始された新陰流は、その印可を受けた柳生石舟斎宗厳が「無刀」の極意を工夫すると、徳川家康の招きによってその子宗矩が二代将軍秀忠、三代将軍家光の兵法指南となった。以後柳生新陰流は将軍家のお家流としての地位を不動のものとし、宗矩の『兵法家伝書』や沢庵和尚が宗矩のために書いた『不動智神妙録』は江戸武士の精神生活に大きな影響を与えた。
柳生新陰流は将軍家の兵法指南としての江戸柳生、御三家の尾張藩兵法指南としての尾張柳生の二つの系統に伝えられたが、尾張柳生は現代まで連綿と引き継がれているものの、江戸柳生家は明治以降、新陰流から離れてしまった。しかし尾張柳生家の江戸時代最後の宗家である柳生厳周は、江戸柳生の技も学んでいた。
本書は、その厳周から神戸金七、加藤伊三男と伝わり、現在も名古屋の春風館道場で修行されている「厳周伝新陰流」を詳解したものである。
宮本武蔵を哲学する
- 2003年10月
- 南窓社
- 366頁
- ※絶版
歴史上の武蔵は吉川英治の「儒教的修養」を求める武蔵でも、司馬遼太郎の「傲慢な天才」でもない。武蔵は将軍家指南・柳生宗矩の「活人剣」思想に抗して、「勝人剣」を貫くことで江戸思想の外に出ようとしたのである。時代が閉塞していく中で、あくまで独自的であろうとした武蔵の反骨精神がいま初めて明らかにされる。